ノモンハン 事件。 大量の自殺者を出した「ノモンハン事件」敗北のヤバイ真相(佐藤 優)

東捜索隊壊滅 [ ] 東捜索隊攻撃に威力を発揮したソ連軍化学戦車(戦車) 先行する東捜索隊は、5月28日の早朝にほとんど抵抗を受けることなく突破に成功した。

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敵の戦車は火焔放射器で歩けぬ兵を焼き殺して行くのだ。

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司馬さんは二十年ほど前、「この国のかたち」と題した文芸春秋の巻頭随筆に、「ついに書くことはないだろうと思うが、ノモンハン事変をここ十六、七年来しらべてきた。

『ノモンハン戦争 モンゴルと満州国』、2009年。 ジューコフは第603連隊を西岸に呼び戻すと、軍法会議により容赦なく銃殺刑に処し、再訓練を施したが「なんでこんな弱体部隊を投入したのか」という非難を受けることとなった。

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グリゴリー・シュテルン将軍は、前線への補給と兵力増援に必要なインフラをすべて提供した(4千台の車両が必要で、それらは最寄りのソ連基地まで800キロも往復しなければならなかった)。 満州には日ソ双方の鉄道利権が存在しており、のに降伏()した奉天派のはソ連からの利権回収を試みたが、1929年の(中東路事件)で中華民国は敗れた。 第一次ノモンハン事件における損害は、日本軍、戦死159名(うち東捜索隊105名)、戦傷119名、行方不明12名で合計290名、1門、トラック8台、乗用車2台、装甲車2輌に対し、ソ連軍の損害は戦死及び行方不明138名、負傷198名、モンゴル軍の損害は戦死33名の合計369名、戦車・装甲車13輌(うち2輌はモンゴル軍のBA-6)、火砲3門、トラック15台であり、戦力が勝っていたソ連・モンゴル軍の方の損害が大きかった。

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無許可の他国領攻撃に陸軍参謀本部は激怒。